奈良県には鹿や法隆寺に並んで、有名なものがあります。
それは靴下です。
奈良県は靴下の生産量が日本一!
奈良県の片隅にお店を構えている谷家屋も、靴下を取り扱っております。
しかし、靴下が名産である一方で、なぜなのか聞かれても説明できる方は少ないのではないでしょうか?
今回は奈良県で靴下が名産品になるまでのルーツを解説してまいります。
バックグラウンドを知ることで、地元の方は地元愛が深まったり、そうでない方も奈良の新しい魅力に気づくことができるかもしれません
それでは見ていきましょう!
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靴下が名産になるまで
奈良県には奈良盆地と呼ばれる盆地があり、そこでは昔から米が生産されていました。
今でもお米の生産は続けられています。
しかし、奈良県は降水量が少なく水不足に悩まされ続けてきました。
2018年の降水量を見ても、47都道府県中29位とかなり下にいることがわかります。
そのため、十分な量のお米の生産ができず、収入を何か他のもので補う必要がありました。
そこで、大和木綿というコットンの栽培が江戸時代から始まりました。
農家の方々は家に帰ると副業として機織りをし、生計を立てていたのです。
しかし、明治時代に入った頃、海外との貿易が活発になったことで、インドからより質の高いコットンが輸入され始めました。
それによって、奈良県でのコットン栽培は一瞬で廃れていきました。
コットンの作付け面積は元々に比べて100分の1ほどまでに減少したそうです。
同時に、より近代的な紡績機が海外から入ってきたために、県内では紡績工場が多数誕生しました。
紡績工場とはコットンやウールの繊維から布や糸を作り出す工場のことです。
こうして奈良ではコットンの生産という仕事がなくなり、糸を作る設備が整いました。
そこに、アメリカから靴下編機を購入した吉井泰次郎さんという人がいました。
そこから木綿栽培という副業を失った農家へと新たな副業として靴下作りが広まり、やがてそれが本業になっていったのです。
こうして、奈良県での靴下生産が始まり、技術革新や兵庫・東京・大阪・名古屋等との競争といった紆余曲折を経ながら、日本一の生産量を担うようになっていきました。
今でも日本国内の靴下生産量の6割が奈良県産。
その技術は脈々と受け継がれています。
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最後に
しかし、靴下の国内生産量は低下し続けており、靴下産業は縮小を続けています。
技術は一旦途切れると、また取り戻すには大きなコストがかかったり、不可能になってしまうこともあります。
奈良が誇る技術を引き継いでいくためにも、私たちが高品質な靴下を履き続けていくためにも、次の一足は奈良県産を選んでみるというのはいかがでしょうか?
谷家屋でもたくさんの靴下を店舗・EC共に揃えてお待ちしております。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
本日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。
谷家屋
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